茶色のアイドルとチェコの大天使

ドルオタとスケオタをこじらせていくブログ

迷ってた話

こんにちは。久しぶりに茶色のアイドルのほうの話をしようかなと思います。 というか自分の話になるかもしれません。

 

2018年は野崎弁当さんが大活躍の1年でした。(まだ終わっていないけど。)昨年末のセンター曲発売に始まり、JUNONソロ掲載、舞台アンフェアな月出演、ツアーでの渾身のソロ演目、ファーストソロ写真集発売しかもオリコンウィークリー3位などなど。野崎元年という言葉も巷で流行したとかしないとか。色んな場面に活躍を広げ、茶推しさんも増えたと聞きます。

ところがですね。私自身はそんな野崎さん大活躍の流れにイマイチ乗り切れませんでした。New Sunshineのリリイベには行けました。おめでとうと言えました。でも本当に心から言えたのか?以前書いた気がしますが、センターを勝ち取ったことをリアルタイムで知れなかったんですよね、入院してたので。フリラもMVも見たけどあんまり実感が湧かないままおめでとうと言ってしまった気がする。

そんな中、藤田役の髪型が楽しみだと長々と文章を綴ったにも関わらず、また体調を崩して入院。舞台アンフェアな月のチケットはもぎられることなく手元にある。生誕祭も初めて行けなかった。退院したころにはツアーのチケットはとっくに発売済みで、推しのソロ?ストーリー?そんなこと言ってる場合じゃない。1公演行けるかどうかもわからない。タイムラインを見るのがしんどくてスマホから距離を置いていた時期もある。このままめせもあ。からも離れるのかなと思った。

身体と心はつながっているとはよく言ったもので、体調が少し回復してくると気持ちにも余裕が出てきて、やっぱり推しに会いたくなってきた。それがちょうど大逆転ディーラー発売の時期。初心に帰って1分だけ推しに会いに大阪に行った。会って話したら、「俺は確実に進化してるよ」と言われたらライブに行きたくなった。広島公演のチケットはまだ入手できた。一緒に行ってくれる友人もいた。

1年4カ月ぶりのライブで見た野崎さんは、ご自身で言っていた通り、いやそれ以上に進化していた。ダンスも歌も演技も。そんな推しに圧倒されつつも、やっぱりライブって楽しいなと実感した。楽しそうに歌って踊る野崎さんを見て、声を上げて、そこからパワーをもらうんだなってわかった。それが生きる力になってると。

わかったはずだった。

全然話が変わりますが、私はどうも共感とか想像とかが苦手なようです。ようですじゃなくて苦手です。だから自分の目で見てないものに想いを馳せることはできないし、人の感想を聞いて心を動かされることもほぼありません。

今回のツアーのソロ演目で野崎さんはたくさんの踊ってみたを披露したそうですね。ひとつも見れていませんが。ソロ演目がある日はタイムラインがとても賑やかになります。その目で見た人も見ていない人もそれぞれの想いを呟いている。至極当然です。だってそれがツイッターだもの。でも自分は?あぁまた欅坂踊ったんだ。それだけ。ほんとにそれだけ。推しが好きだから、踊るからって本家に興味が湧くわけでもない。ソロのために遠くに行く気持ちもない。きっと色んな想いを込めて踊っているであろう推しの気持ちを一つも想像できない。見た人の気持ちからなにかを感じることもできない。

 

茶推しをやめるか

 

今年なんど思ったことか。野崎弁当という人を嫌いになったわけじゃない。むしろ好きなまま。でも茶推しではいられないんじゃないか。誰かが「茶推し」という概念を決めたわけじゃないけれど、それを名乗るにふさわしくないのではないかと考えた。ふさわしいとかふさわしくないとかじゃなく、ただ嫌になっただけかもしれない。縛られるのが。

 

写真集のリリイベには行かなかった。行けなかったじゃなく行かなかった。購入したのも一冊だけ。オリコンにランクインして推しが喜んでいて、その事実は嬉しかったけど自分とは関係のない世界の話のような気がしていた。

ライブは楽しい。広島公演の勢いでツアーファイナルのチケットをとってしまったけど、どうしよう。やっぱり行くのはやめようか。何度も頭をよぎった。それでも大きな舞台に立つ推しを見たいという気持ちもあった。この目で見たいと。行く方に傾きかけていた。茶推しじゃなくてもいい。行きたいから行くんだって開き直りかけていた。

そんな中で更新されたのが「ニヤニヤする話」

 

―でも、僕が活躍すれば、それを喜んでくれる人がいる。

―僕が活躍することで、誰かが笑顔になるのなら、僕はそのために頑張りたい。

―そしてそれは、僕自身の幸せにもなる。

 

やっぱり野崎さんは野崎さんで、そんな野崎さんだから好きなわけで、活躍が嬉しいわけで、それが野崎さんの幸せになるなら、いくらだって活躍を喜ぶよ。と素直に思いました。そして最後の一言。

 

TOKYO DOME CITY HALLに立つ僕を見たら、たくさんの茶推しが喜んでくれるかなって、そんなことを考えて、ニヤニヤしながら、日々を過ごそうと思う。

 

そんなこと言われたら茶推しでありたいと思っちゃうじゃん。大きな舞台に立つあなたを見たいしきっと嬉しいだろうし、そう思う人を野崎さんが茶推しって呼ぶならそうでいたい。

結局ツアーファイナルには茶推しの底力Tシャツを着ていきました。それが答え。単純な話だった。推しの力は偉大である。

 

TOKYO DOME CITY HALLの大きな舞台で歌い踊る推しは、本当にキラキラしていてずっと笑顔で楽しそうで全力で、やっぱり野崎弁当で、目が離せなかった。歌声が体中に響いて幸せを感じたし、ステージを駆け回る姿を目の当たりにして来て良かったと思った。やっぱり好きなんだなって。野崎弁当が好きだし、ライブが好き。

 

小説は好きだけど、世界に入り込むってことはありません。共感も想像も苦手。ストーリーを見ても心乱れることはなく。そんな自分が不安になりました。でも見ていてだんだん自分の都合のいい解釈をし始めました。野崎さんがMeseMoa.のメンバーじゃない生き方を選択することは絶対ないという変な確信があるからだなって。以前の仕事を辞めてアイドルという生き方を選ぶのには、壁も現実も将来のことも周囲の目も自分以外の誰かのこともたくさんの困難があったことは、客観的事実としてはわかるけど、そこに想いは馳せられない。ただ、今、現実として野崎さんはアイドルをやっているということだけが私にとっては目に見えることで。それが揺らがないから冷静でいられるんだって。そう思うことにしました。反論は受け付けます。

 

2部は立ち見席で見ました。よく見えるとは言い難い席だったけれど、そこから見えたものもありました。ちょっと前まではこんな位置からライブを見ることになるなんて思いもしなかったなって気づきました。それほどまでの早さで規模でMeseMoa.というグループは大きくなっているのかと。そりゃあパシフィコ横浜も決まりますよ。できれば近くでパフォーマンスは見たいけど、大きな会場で、全然いい席じゃなくて遠くても、それはそれで幸せなことだなあと。どこにいても推しのことはすぐ見つけられるしね!

ああ、それにやっとNew Sunshineのありがたみを感じることができました。なんだか叱られそうな表現ですが。立ち見席からちょうど見えたのがステージの中央部分のわずかな隙間で、他の曲は野崎さんが見えたり消えたりするんですが、NSの時はずっと野崎さんがそこにいたんです!これがセンター曲か!ってわかりました。すごいねセンターって。

 

パラレルワールドの自分を自分自身で連れ戻すために何と言うか?という部分。どこにいても野崎弁当は野崎弁当で、踊ったりしている、それが野崎弁当だからというニュアンスのことを言っていました。そこにとても救われた。どうなっても野崎さんは野崎さんで、自分は自分なんだなって。多分どう転んでも野崎さんを推さない人生はない。茶推しでいてしまうのが自分なんだなってストンってきました。

なのでこれからも形はどうあれ清く正しく茶色のアイドルを推していこうと思います。2018年の悩みは2018年のうちに解消しました。ありがとう野崎さん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えてもスクリーンのほうが良く見えるのに、人と人の間からわずかに見える実物の推しを見ちゃう心理ってなんなんでしょうね。